AIとは何か

人工知能は人間を超えるか。AIが人を超えるために必要なこととは

近年の人工知能の発達は目覚ましく、スマホのロック画面や不良品検出のための画像認識や英語から日本語に自動翻訳する自然言語処理など、私たちの生活や仕事は日々進歩してより豊かにしています。人工知能も含めた科学の進歩はいつも私たちの予想を超えるスピードで進んでいて、このままでは人工知能は人間を超えるかもしれません。そうなると、人によってはワクワク、人によっては心配になりますよね。

人工知能が人間を超えるためにはどのようなことを満たさなければならないのか、これから人工知能が人を超えるためにはどんなことが起きるのか、そもそも人工知能は本当に私たち人間を超えてしまうのか、いろいろ気になるところがあるはず。

そこで今回は、人工知能は人間を超えるかどうか、必要となる条件について解説しましょう。まずは人工知能が人間を超えるとされるシンギュラリティ(技術的特異点)について解説します。

人工知能が人を超えるとされるシンギュラリティとは


人工知能分野におけるシンギュラリティは正式にはTechnological Singularityと呼ばれ、日本語では技術的特異点と訳されます。シンギュラリティとは、人工知能が人間の知性を超えるどころか、さらに自分自身の知性を超えるような人工知能の生産が可能となる時点のこと。すなわち、人工知能が人間よりも賢くなった上に人間の力を借りずにより優秀な人工知能を生み出して進化する時点のことです。

シンギュラリティの到来について、楽観的な意見や悲観的な意見、そもそも来ないであろうという予想など、さまざまな意見や予想が飛び交っています。シンギュラリティを広く世に知らしめた人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイル氏によれば、人工知能は2029年に人間に匹敵するほどの知能を備え、2045年にはシンギュラリティが到来すると提唱したことで話題になりました。もしこのままシンギュラリティが到来するとしたら、人工知能は人間を超えるかという論争に大きなインパクトを与えるでしょう。

しかしながら、シンギュラリティにまつわる議論で強くフォーカスが当たるのは「知性」の部分です。知性の定義は難しいですが、実際少なくとも人間を人間たらしめているのは知性だけではない、というのはなんとなくわかるでしょう。つまり私たちの「人間らしさ」は他にもあり、人工知能が人間を超えるなら知性だけでは足りません。

では、他にどのような条件で人工知能は人間を超えるかどうかが決まるのか気になるところ。ここから人工知能が人間を超えるために必要なことはどのようなものか解説していきます。人工知能は人間を超えるかの必要条件の1つ目は「創造力を持つ」です。

人工知能が人を超えるために必要なこと①:創造力を持つ

人間は人間がこの世に誕生してからこれまでの長い間、創造的な活動をおこない、さまざまな道具や芸術作品を創り上げてきました。これらの活動を人工知能ができないことはありませんが、多くの場合人間の模倣、すなわち「創造」ではなく「行動」で終わってしまいます。

そのため、創造力の必要とされる活動に人工知能が用いられる場合でも、人間の役割が少なくなることもなく、人工知能が多くの役割を負担することもなく、現段階では人工知能はあくまで人間のサポート役に徹するでしょう。

このように創造力の観点からでは、人工知能は人間を超えるかといえばまだまだ難しいといえるかもしれません。人工知能がマンガのキャラクターやストーリーを考えたり、作曲をしたりするというのはすでにおこなわれていますが、結局は人間にやらされる、見せかけの創造力。となると人間と肩を並べ、そして超えていくにはこの見せかけを超えて人工知能が自ら創造的な作業ができることが必要です。

人工知能が人を超えるために必要なこと②:本能を獲得する


次なる人工知能は人間を超えるかの基準は「本能の獲得」です。というのも人間は高等動物の一種で本能を持っており、本能によって食事や狩りをしたり、敵からの危機を回避したり、生殖行動をおこなったりと、自身の身を守り生存するため、さらには種を保存するために本能を動機としてさまざまな行動を起こします。

つまり、本能は人間含む高等動物に必ず備わっている機能であり、人間(高等動物)を人間(高等動物)たらしめる要素であるといっても過言ではありません。

では、人工知能に本能が備わるのでしょうか。結論からいうと、人工知能は本能を獲得できる可能性はあります。というのも、本能的な行動を担っている部位である偏桃体や視床下部を再現できれば人間の本能に近いものができあがりっているためです。もし本能を人工知能が獲得できれば、未知の場所や危険な場所で、本能的に危機的状況を回避するなど、自分自身の身を守る行動を取るという興味深い現象が起こるかもしれません。

つまり人工知能は繰り返しの学習によって高度な思考が可能となりますが、合わせて本能が開発されればぐっと人間と競い合うような存在へと近づくでしょう。

人工知能は人間を超えるかどうかについて、三番目に解説するのは「人間の身体を持つ」というハードウェアの面についてです。

人工知能が人を超えるために必要なこと③:人間の身体を持つ

ソフトバンクロボティクス株式会社のPepperのような人工知能を搭載した人型ロボットはすでに存在しますが、本物の人間ほど精巧に作られていません。また、そもそも多くの人工知能がアームだったり、自動車だったり、システムだったりと人間の形をしていない、それどころか機械ですらない場合もあります。

確かに人工知能は人間の脳に当たる部分であり、知性やこれまで述べてきた創造力や本能を司るものの、視覚や触覚など身体的な刺激は学習によって人間らしさを作り上げていくために欠かせません。そして、その観点から考えると人間的な身体は間違いなく重要で、人工知能をより人間らしくすること、そして人間を超えることの必要条件です。

また人間を超えるというのは人間と比較したときに起こる現象であり、例えば人工知能を搭載した犬型のロボットと人間を比較比較したくないですよね。また万が一、一部の機能が人間を超えていたとしても、それで人間を超えたと認めたくないでしょう。そうなると、機能的な側面だけでなく、人間を「超える」という現象が起こったと認めるために人間の身体は必要とされ、最低限人間のような身体といえるものが登場するまで人工知能は人間を超えるかという問いの結論はお預けになるでしょう。

最後に紹介する、最も根本的な必要条件である「客観的な「基準」を超える」というものです。

人工知能が人を超えるために必要なこと④:客観的な「基準」を超える

人工知能は人間を超えるかについて、多くの場合「人間のように汎用的になんでもできる人工知能(汎用人工知能)の能力が人間を超えるかどうか」が議論の中心となるでしょう。これなら、言葉にするのは簡単ですよね。

しかしながら、何を持って人間を超えたのか、何が「基準」となるのか、非常に曖昧です。先ほども述べたように、知性の定義というのは困難であり、定量的に評価するのがとても難しく客観的な指標を出すことができません。

これは想像力や本能、人間的な身体にもいえることで、どのように客観的に定義するのか、どこで客観的に線引きするのか大きな課題として残されています。事実、「何がどうすれば人工知能が人間を超えるか判断できるのか」がわからないまま専門家の間では議論されており、ほとんど主観に頼らざるを得ません。

そうなると人の主観ではばらつきが出てしまい、(暴論ではありますが)Pepperはすでに人間を超えていると主張することも可能になってしまいます。このように、客観的な基準を明確にしてやることから、人工知能は人間を超えるかの議論は出発するでしょう。そういう意味では、まだまだ議論すらできない段階です。

さて今回は、人工知能は人間を超えるかどうか、必要となる条件4つについて解説しました。今のところ、人工知能は2029年までに人間に匹敵するほどの知能を備え、2045年には人間より賢くなるシンギュラリティが到来するという意見が大きく取り上げられています。

しかし実際のところ、人工知能が人間を超えるに当たって必要なことは4つありそれぞれまだまだ課題が残されています。

  • 創造力を持つ:現在は人間が後ろにいる見せかけの創造力で、人間らしい想像力が求められる
  • 本能を獲得する:人間を超えるためには生存本能は必須。偏桃体や視床下部の働きを再現することで本能獲得に近づく
  • 人間の身体を持つ:五感により人工知能の学習がより活発になる。また、人間の身体を持っていない人工知能は人間との比較の土俵に上がれない
  • 客観的な「基準」を超える:人工知能は人間を超えるかという議論は定量的で客観的な「基準」を欠いたまま進んでおり、何を持って人間を超えたとみなすか明確でない

必要条件を見る限り、人工知能は人間を超えるかどうかと問われれば、まだ先になるといえます。しかし、いつの日かすべての必要条件を満たすような人工知能が世の中に誕生するかもしれません。そのときは人工知能を受け入れ、敵対せずに共存する姿勢を取りましょう。