AIとは何か

今後が気になる!AIとの付き合い方とその未来について考えよう

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普段の生活や仕事の中でAI(人工知能)の利便性について実感することはありますよね。これからAI(人工知能)は急速に私たちの日常生活の中に浸透してくることが予想されています。そうなれば、AI(人工知能)について考えない日なんてないのではないでしょうか。

私たちの仕事が次々とAI(人工知能)に取って代わられ、人間の仕事がなくなっていく、なんて話も、仕事をAI(人工知能)に任せることが徐々に増えてきたため現実味を帯び始めていると感じるようになってきました。ですから、これから私たち人間は、AI(人工知能)についてどのように考え、どのように接していけばいいのでしょう。

そこで今回は、今後躍進が見込まれるAI(人工知能)との上手な付き合い方とはどういったものなのか、また、AI(人工知能)と共存する未来はどういうものなのかお話します。

2045年、シンギュラリティ、その時世界は

シンギュラリティのイメージ

まず、AI(人工知能)が人類の知能を超える性能を持つようになるとされるシンギュラリティと言う言葉は耳にしたことがありますよね。

このシンギュラリティは2045年ごろ訪れるとされています。このとき世界がどうなっているのか、正確に予言することはだれにも不可能です。

ただ確実に言えるのは、私たち人間とAI(人工知能)との関係性について大きな変革が訪れるということ。

AI(人工知能)の「倫理」が議論の的に

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では、「変革」はきっとさまざまな形となって、顕在化することでしょう。その中でも、私たち人間が真摯に受け止めなければならない「変革」とはいったい何でしょうか。

それは他ならぬ「AI(人工知能)の倫理について」です。

「倫理」という言葉を辞書で引いてみると「人間生活における秩序、規範」といった意味の言葉が並んでいます。平たく言えば「人としてやっちゃいけないことは、やっちゃダメだよ」ってことですよね。

しかし、現在においては「AI(人工知能)の倫理について」というテーマはまだまだピンとこない人が大多数です。では、AI(人工知能)が人間の知能を超えてしまうとしたら…AI(人工知能)についても「倫理」という概念が議論されるのは至極当然のことではないでしょうか。

まずこの倫理として、SF作家のアイザック・アシモフは、ロボット三原則をみてみます。

このロボット三原則とは

  1. 人間への安全性(つまり人に危害を加えない)
  2. 命令の服従(つまり命令されたこと以外は決して行わない)
  3. 自己防衛

の3つ。

例えば、AI(人工知能)を搭載したロボットが「人間に危害を加えるよう」命令されたとします。それを前述の三原則に従って行動しようとすると矛盾が発生しますよね。人に危害を加えないべきか、それとも命令に従うべきか…といった葛藤がロボットの中で起こるのです。

こうしてジレンマに陥ったAI(人工知能)はいったいどのような行動を起こすのでしょうか。もしかすると命令に忠実に実行することを選択したAI(人工知能)は人間に危害を加えてしまうかもしれませんよね。

AI(人工知能)に対する法整備はもはや不可欠なのか

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このようにAI(人工知能)との関わり合いが、対人間と似通ってくるようになると、AI(人工能)やロボットについても人間と同じように法律というルールによる統制で倫理観を守らなければいけません。

とはいえ「AI(人工知能)を搭載したロボットが人間に危害を加える、あるいは命を奪う」…こんなのはまるでSF映画の1シーンのようであまりリアルな可能性としては実感しにくいです。もしかすると、将来こんな時代がやってくるのかもしれませんが、少なくとも2019年の世界では考えにくいことですよね。

しかし、実はすでにそのようなことが起こり始めています。

AI(人工知能)について、人間の生命を左右するシチュエーションとして現時点で最も現実的なものといえばやはりAI(人工知能)搭載による自動運転車による交通事故。

この自動運転による交通事故について一つ問題があるのです。これは「AI(人工知能)によって自動運転を行っていた自動車が人身事故を引き起こしてしまった場合、責任の所在はどこにあるか?」という議論があります。
この責任は、AI(人工知能)を設計した技術者にあるのでしょうか?それとも自動車を販売した自動車メーカーでしょうか?はたまた、自動車に乗車していた人でしょうか?

現在のところ、AI(人工知能)を活用した自動運転車についての法律や規制の整備は大きな課題として残されており、このことがAI(人工知能)を活用した自動運転車の社会実装を阻む一つの要因にもなっています。

AI(人工知能)は善悪について判断できるか

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AI(人工知能)の倫理観を議論するにあたっては、AI(人工知能)自身が、善意と悪意の判断について学習することができるか、という点がとても重要になってきます。人間の代替をするAI(人工知能)は当然人間と同じ倫理観、善悪の判断をしなければなりませんよね。

先ほどの自動運転車の例でいえば、「事故を起こしてしまったら、停まってけが人を救護をしなければならない」、「速度制限を守らなければならない」など人間が運転する場合と同じ判断は当然必要になります。また、AI(人工知能)による自動運転車が事故を回避しようとしたとき、運転者と歩行者のいずれも危害が及ばないような判断ができないケースでは、運転者を守るのか、歩行者を守るのかといった問題も。
このように、善悪の判断というのは、決して明確な回答があるわけではなく、AI(人工知能)にとっても学習するのは難しいものと言えます。

AI(人工知能)が、善悪の判断、倫理的な判断について正しく行えるようにするためには、人間の感情が生まれ出る根源についてモデル化することが必要でしょう。ですから、AI(人工知能)が物事の善悪について極めて人間的な感覚で判断をすることは、現段階では非常に難しいものと考えられているのです。

AI(人工知能)が同僚や友達になる未来?どう付き合えばいいのか

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ところで、将来的にはAI(人工知能)を搭載したロボットとともに仕事をしたり、友達として会話や趣味を楽しんだりするすることも十分想定できますよね。(現に今でも、SNSなどではチャットボットと会話を楽しむことができます。)

そうなったとき、私たち人間は、AI(人工知能)との付き合い方について、どのようなことを心がければいいのでしょうか。

前述したとおり、AI(人工知能)は善意や悪意について人間のような倫理観を持って判断することが非常に難しいです。しかし、AI(人工知能)は何かをお手本としてまねごとをすることには非常に長けていますよね。

ですから、私たち人間こそがお手本となって正しい倫理観に基づいた行動をすることが、AI(人工知能)の倫理観をはぐくむためにはとても重要なことなのではないでしょうか。

そうすることで、AI(人工知能)は学習を進め、あたかも人間であるかのような判断を下すようになるでしょう。未来のためにも私たち人間が行動していくことが大切です。

 

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今回は、AI(人工知能)の倫理観について、そしてAI(人工知能)と人間が共存する未来の世界で、私たち人間が、AI(人工知能)とどう付き合っていけばいいのかについてご紹介しました。

AI(人工知能)を生み出したのは紛れもなく私たち人間です。ですから、AI(人工知能)を正しい倫理観に基づき、あるべき姿へと導いていくということもまた、生みの親である私たち人間の使命なのかもしれません。「ペットは飼い主に似る」「子供は親の鏡」などともいわれますが、AI(人工知能)についても同じことが言えるのではないでしょうか。

AI(人工知能)はその処理能力や処理の正確性などは、私たち人間をはるかに上回る存在です。しかし、間違ったことも教えられれば実行してしまう可能性も秘めています。

ですから私たち人間が正しい倫理観に基づいて行動し、AI(人工知能)と共存することができたとききっと大きな成果を生み出します。未来なんてまだまだ先のことなどと考えず、今から未来の暮らしのために行動をおこしていきましょう。

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